自分の文体

小学校3年生か4年生の学期末の記憶。

 

学期をふりかえっての作文を、終業式で読む役を担いました。

立候補の中から選出されたのか、任命されたのかは覚えていません。

 

そのとき初めて「マイクから話す」という経験をしました。

自分が話した声がコンマ遅れて校舎にくっついたスピーカーから聞こえてくる感じ。

自分の声にエコーがかかった感じ。

作文を読んでいるものの、心の中ではいろいろ違うことを考えているのですね。

 

なぜだかそのとき一番強く記憶しているのは、自分の文章の癖に気付いたことです。

 

マイクから遅れて届く自分の声で、自分の話が客観的に聞こえたのでしょうか。

作文を読みながら

「あ・・・。思うをいっぱいつけているな。」

と気付いたんです。

 

 

正直なところ、この癖はまだ抜けていないと・・・思います(爆)

 

 

話し言葉では、みんなありますよね。

「要するに」をつけて話してしまう自分に気付いて、なんてはずかしいって思いつつ、これまたなかなか直せないんですよ。

 

「思う」は、断言を避けるような使い方をしてしまいがちですが、本来の意味からすれば、別にそういうのはなく、きちんと思慮を示す言葉です。そういうつもりで使えるならいいのかな。

 

数日前の記事で書いたとおり、私ははっきり主張するけれど、それを人に押し付ける気はさらさらない。そういう心理から「思う」がついてしまうのかもしれません。

 

まあ、聞いていなくていいから言いっ放したいっていうことじゃないです。

ちゃんと「分かってほしい」気持ちもありますし、共感してくれる人がいたら嬉しいです。

でもやっぱり、人の思いを知りたい気持ちの方が強いのかなあ。

 

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    学級だよりでは語れないこと

     

    学校HPでは語れないこと。

    個人名を出すことは、まずできません。

    「個人情報」にすっかり過敏になってしまった今の世の中では、個人名を出すのはかなりハードルが高いものです。

     

    名前が出たところで、どのような危険があるのかというのは、これまた先日記事の「合理性」に任せます。

    表彰など、名誉にかかわることで個人名が出ることに、ほとんど問題はありません。

    学校HPがメディアとしての信頼度を確立できていないことが一つですね。

    テレビとか新聞に載りますっていったら、喜んで承諾しますものね。

     

     

    さて、ではぐっと範囲を狭めて、しかも媒体も紙に限定して。

    クラスの保護者の手にしか渡らない学級だよりで語れないことってあるでしょうか。

     

    これが、ありまくりだと思っているんです。

    子どもの問題行動について、どのように話を聞いたかとか、どんな方針で指導をしていくかといったこと。

    あるいは、その年齢でありがちな問題について、どのように対処したらよいか。

    そういったことについて学校は「誤解を招く」とか、「余計な心配をかける」といった理由でまず出すことができません。

     

    以前にも書いたかもしれませんが、私は我が子を通わせている保育園からいただくお便りが大好きです。

    連絡帳じゃないですよ。園だより。

    園だよりにも、「今、こういうことが起きています。」「こういうことに困っています。」「こんなときは、こうしていきましょう。」とはっきりと書かれています。

    いろいろな保護者がいるでしょうから、受け取り方はいろいろで、これに怒る人もいるとは思います。

    私は、このお便りからも、園への信頼度がぐっと増していくんです。

     

    保身なし。いつも裏表なし。本当に誠意があります。

    個人名でだれだれの行動が困っているなんて書きません。そういうのは必要ありません。

    だって、どの子にもめぐりめぐって当てはまることがおおいにあるのだから。

     

    誤解はない方がいいでしょうけれど、誤解を恐れて伝えるべきことを共有せずに、「学校・家庭が協力していきましょう」とどうして言えますでしょうか。

     

    子どもの課題について、字は残るからダメ、口頭でという方針には、私はどうしても納得がいきません。

    指導は誠心誠意。

    口頭だって、ずっと心に残ってしまうようなものはありますよ。(むしろ証拠を残さない分、タチが悪いんじゃ・・・)

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      ドラクエ3から学んだこと

      ファイナルなんとかっていう技を繰り出すそうです。

       

      さて、先日テレビで「劇場版名探偵コナン ベイカー街の亡霊」というのを観ました。

      10歳にしてマサチューセッツ工科大学に籍をおくという天才少年が出てくるんですけれど、

      劇中のセリフで「個性を摘み取ってしまう日本の教育に・・・」というのがありました。

       

      いや、教育職側の私が言うのは変なんですけれど、日本の学校教育の悪の部分はまさにそこだって思います。

      個性を伸長する教育と高らかに言っているけれど、日常の授業形態とか、学校独自の統制など目に見える課題がそこら中に転がっています。

       

      私は「困る子が一人もいないように」という思いが強く、結果授業をなかなか前進できないことがよくあります。

      これも一斉授業の形態で個を伸ばさない教育に加担してしまっているとも言えます。

      その子の困りは、全員同じ進度・全員同じカリキュラムという制約がなければ、そもそも存在しないものかもしれないってよく思います。一人ひとりに合った学習ができるしたいところです。「協働的な学び」は大好きですけれど、これが全ての解ではないとも思っています。

       

      このことを考えるとき、よく自分が子どもの頃に夢中になってやった「ドラゴンクエスト3」を思い出します。

      (別にドラクエ3に限ったものではないんですけれど)

       

      主人公は「勇者」です。

      それ以外は、職業のある仲間を連れていきます。

      体力があって物理攻撃が得意な「戦士」

      仲間を回復できる「僧侶」

      体力はないけれど、敵全体を攻撃することもできる「魔法使い」

      素早く敵よりも先制ができるが、身軽さのために装備できるものが少ない「武闘家」

      ほとんど得意なことがないが、たまにお金を多くもらえる「商人」

      いつも役に立たないが、レベル20に達すると急遽「賢者」に転職できる「遊び人」

      ちなみに「賢者」は、悟りの書というアイテムがあれば遊び人でなくてもなれる。「賢者」は僧侶と魔法使いの両方の魔法が全て使える。

      どの職業も、長所もあり短所もあるんです。

      勇者はオールマイティーで、勇者にしか使えない強力な魔法なども習得するんですけれど、パラメーターとしては「全体的に高い」というだけで、どの職業をも凌駕するわけではありません。そして血統であり職業ではないので、他に仲間とすることはできません。

       

      ルイーダの酒場というところでひとたび勇者にスカウトされてしまえば、大魔王ゾーマをやっつけるまで旅のお供をすることになるやもしれませんが、勇者にスカウトされなければ、そこらの地域貢献でもすることになるのでしょう。

      勇者はというと、血統で強く人々から絶大な信頼を寄せられますが、「魔王を倒す」という宿命から逃れることはできません。

      (死んでも強制的に復活させられ「死んでしまうとは情けない」と王様に怒られます)

       

      それぞれに得意分野があって、互いに助け合うことでうまくいくという体験ができるからこそ、「ロールプレイングゲーム」というのだと思います。

       

      はてさて、日本の学校教育は、ドラクエ3でいうとどの職業を育てようとしているのでしょう。

      全員勇者に育てようとしているんじゃないかとすら思うことがあります。

       

      憲法にあるように、「職業選択の自由」をできる限り保障してあげようと思うと、大人になるまでにどの職業にでも就けるような知識・技能を身につけさせてやらないとという思い。それは大事だと思っています。

      でも、「遊び人がなんで賢者になれるんだ」という問いも結構重要なんじゃないかとも思います。

      そして、レベル20になって転職できる職業に「遊び人」はないという事実も。

      いやあ、実によくできています。

      レベルと年齢は関係ないんですけれど、現実世界でレベルを年齢に置き換えるとすごく深いものを感じるのですよ。

      大人になってからは、遊び人に転職はできないんです。

       

      魔法使いから戦士に転職して、魔法がつかえる戦士とかできるんですけれど、思ったほど使えないんですよね。

      餅は餅屋ってことなんです。

       

      ゲームの職業を現実世界でそのまま「職業」として置き換えるのではなく、個性と置き換えてみると考え所になりませんか。

      平たい個性を作る。没個性は、誰を幸せにするのかと。

       

      学校での教育は、教科におとしこんだ知識・技能だけではありません。

      子どもが遊び学んでいく上での「遊び方」「学び方」にこそ個性があって、その個性をどう伸ばしていけるのかを考えていきたいものです。

       

      JUGEMテーマ:教育

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