日常と結びつかない教育はもうやめにしないか

土曜日にとあるイベントに参加して、

学校でのICT活用について、いろいろと考えました。

 

でも、まあICTという3文字を出す前の問題がありまして、今回はそこから。

 

公立の小中学校は、たまに「小さな社会」と言われたりします。

それは、いろいろな境遇の子どもが通ってきて、多様なものの考え方や価値観、生き方があるからです。

 

ただ、ほとんどの人が実感しているのは、「学校」と「社会」は似ていない、ということではないでしょうか。

 

もちろん、社会なんてものを感じること自体ができず、このたとえは不明確だとも思いますし、勤める会社によって、環境は大きく異なることも承知しています。

 

ただ、ここで指摘したいのは、「学校は独自の社会を形成しており、合理的な規範に一致しないことがまま見られる」ということです。子どもの社会を構成しているのは、時間的制約から実質的であるだけであり、これを批判的に見てみることは大事かもしれません。

 

 

学校あるあるでいうと、

・むやみやたらにルールを作る

というものがあります。

筆箱の中身は、えんぴつ4本、赤鉛筆1本、消しゴム1個とか。

シャーペンはNGとか。

先生の話を聞くとき、手は膝とか。

学校への欠席連絡は、連絡帳か電話のみとか。

 

こういうものについて、学校側はそれなりに「理屈」をもっています。

それを納得できるかどうかの折り合いが「合理性」だと思います。さて、折り合っているでしょうか。

 

この理屈が正しいとしたとしても、その背景にはどれも「コントロール」という言葉が浮かんできます。

主体的・対話的で深い学びをする子どもを育てようというとき、「コントロール」は極力減らしていくべきではないかと、ふつうに思います。

 

現状だと学校は、「学校社会」を学ばせているのであって、どんなに高尚な学習を組もうとも、それは高尚な場である「学校」によって力を発揮するように仕組まれてしまっているのではないか。という危惧があります。

 

続きはまた。

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