ソーシャルメディアは内輪?外輪?

Twitterにせよ、facebookにせよ、SNSに投稿される記事の内容は多様です。

Twitterはフォローしている相手のつぶやきが、
facebookは友達の投稿が
自分のタイムラインに流れてきます。

そもそも自分の趣味・考えが合う人とつながっているのですから、タイムラインに流れてくるつぶやきや記事が多様かといえばそうでないのかもしれません。

ですが、SNSをやっている人の多くは、潜在的に「つながりの広がり」を求めているように思います。
そして自分のものの見方・考え方が多角的になることに成長を感じようとしているようにも思えます。

ここに矛盾が生じているように見えます。


私の体感としては、SNSで自身の価値観の多様化は期待できません。
知見としてはいったんの拡散の様相を呈します。
同じ趣味・関心事にいろいろな情報が集まりますから、嘘か誠かは別として、情報に強くなるでしょう。
また、中には意見としてのつぶやきや記事がありますから、ものの見方や価値観に広がったような感覚になります。

しかしながら、多くの場合は、収束を迎えます。
タイムラインの中に流れてくる「おともだち」の中のオピニオンリーダーに従う傾向が強まってきます。

空気を読んで、おともだちとけんかしないように合わせているというのとは違います。(そういう場合もあるでしょうが)
価値観やものの見方が迎合していくのです。


よいとか、わるいとか、そういう判断はここまでではしていません。
そこにこそSNSの強みというか、よさがあると言えるかもしれません。
(無料でSNSを利用できるのも、市場形成が容易だからというのに通じるかもしれません)

ただ、(私個人が体感しているにすぎないかもしれない)この現象は、私はあまりおもしろく思いません。
私は、一人ひとりに思考する力や判断する力があることが大事だと思っていますから、オピニオンリーダーに盲目的になっていく様相に「一歩まちがえば」ということを考えてしまうのです。

要するに、
自分に芯があるかないかは、SNSのような知見の拡散に酔う場ではっきりしてくると言えます。
残念なことに、はっきりしてくるというのは本人にとってではないですが。

じゃあ、芯がある人って、一体どこでそれを築いているのでしょうか。
不思議です。
0

    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    小学生発!Pray for Japan

    search this site.

    profile

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recent trackback

    Twitter

    ブクログ

    links

    recommend

    others

    mobile

    qrcode