その問題、本当に「問題」?


ピノノワール第4弾
「エコ・バランス」チリワインです。

ま、価格ともにデイリーワインです。
可もなく不可もなく。中重口。
飲みやすいワインであることは確かですね。
でも、何の特徴もありません。
お店の飲み放題ワインとかに出てきそう。

私なら、これならカベルネソーヴィニヨンをデイリーにしちゃうかな。
誰かにオススメすることもないでしょう。

ところで、前回のVINUSは、結局まとまらない味でした。
もう二度と買わないでしょう。

やっぱり、旨安を見つけるのは、なかなか難しい!
今のところ、1番初めに飲んだdAがよかったかな。
次に多分これ。
2番目と3番目はありません。


ワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラスワイングラス


「課題」と「問題」の区別、つけていますか?

学校現場では、結構こういう用語に独特の使い方があったりします。
意味不明なんだけど
「課題」は与えるもの
「問題」は生まれるもの
とか。

「課題」は目的に近いものです。
達成、実現すべき(したい)事柄や事象をさします。
で、それを達成しようとする上で阻むものが「問題」です。

感情からしてみれば、「課題」に対しては関心とか意欲があるわけですが、
「問題」に対しては切実感があります。


ま、学校現場で、独特の使い方をしてもいいんですけど、
私の解釈が違うっていうのも、別に全然構わないんですけど、
それならそれで、少なくともちゃんとこういう構造は区別しておいて欲しいですね。

でね、
やってはいけない錯誤が。
それは、
切実感があれば「問題」である
という錯誤。

いや、いいんです。
個人的な問題なら。
でも、課題があるのかってことや、課題がはっきりしている上での「問題」なのかどうか。
こういう吟味ができてほしいのです。


経営反省についても同じ。
客観的な根拠に基づく反省、問題点の洗い出し。
それに対して改善提案。
これは常識です。

でも学校現場って、個人的な問題を経営反省に出すなんてことが起きていませんか?
もし、そんなことがあるのなら、世間から最高の笑いものです。

教職はメンタリティに頼っているところがあって、もちろんそれはよさでもあると思うのだけれど、
その分、常識的な反省ができないことは、「大問題」だと思います。
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    取り組みだけでは継承されない

    教育活動はどこの学校でも同じ。
    ・・・ではないです。

    義務教育は、子どもの教育を受ける権利を保障するもの。
    もちろん、国として識字率を高めることも一つです。
    義務教育における小・中学校は、全国の教育水準を保つことが基本的な使命です。

    でも、教育は人が社会を形成し、持続させていく上で最重要な未来投資なわけです。
    ですから、教育を受ける権利という、人権的な見地からだけでなく、いわば「理想の社会創造」という人類そのものの追究がなされているとも言えるのではないでしょうか。

    教師は不易と流行のどちらも教育する力が求められます。

    私は、まず一人ひとりが生涯にわたり幸福追求していく力をつけることを、教師の仕事として使命感をもって臨んでいます。

    大義においては不易の部分とも言えますが、社会そのものは常に変動していきます。そしてその変動はまさに人の営みによるものです。ですから、不易を大切としておきながらも、常にその変動の中で生きていく力(社会的要請)を捉え、教育していくこともやはり一人ひとりの幸福追求に関わってくるわけです。



    さて、話を最初に戻します。

    学習指導要領があり、「どこの学校でも必ずおさえる」ことは決まっていますが、その方法や、それ以上のことについては、学校長による経営に任されているのですね。ですから各学校で特色ある教育活動がすすめられています。

    教員は、その経営方針に則り、学校運営をしていきます。
    職員会議は経営の諮問機関ですよね。

    そのため、学校の子どもたちの実態をとらえつつ、学校教育目標をよりよく実現していけるように
    学校として、独自の取り組みを企てていくことがよくあります。
    その一方で、経営反省会議でその取り組みが消えていくこともあります。
    当たり前のように聞こえますが、これは取り組みが起きる経緯や、その取り組みの趣旨および設計、そして取り組みにかかるコストといった視点から反省が寄せられることを(当たり前なら)想定しているからです。

    教員には、趣旨の共通理解だとか効果分析の力が足りないと感じることがよくあります。
    その要因は様々でしょうが、多くの教員が担任をもち、主たる職分を担任としての学級経営としているために、1年単位での見通しに傾注してしまうというのもあるのであろうと私は考えています。

    PDCAという言葉が未だにしっくりこない教育現場ですが、PDCAを順番にやるということではないのです。
    それを予め設計しておくことが前提なのです。Cで何をチェックするかは決まっていてしかるべきですよね。

    取り組みが消えるということは、趣旨 がそもそも間違っていた場合、それと、趣旨の共通理解がなされておらず取り組みだけで運営されていた場合による、Pに対する反省ではない「意味ない」「コストがかかる」というCが行われた結果と言えるかもしれません。(もちろん、校長がかわり、経営方針がかわったなどもあるでしょうけれど)

    「なくせばいい」のような暴力的な意見が出されたとき、担当者はとても胸をいためます。
    でも、趣旨の共通理解が足りなかったことや、PDCAの設計ができていなかったことを反省し、再提案することでしょう。
    ただ、学校は職員の異動も足りますし、年度ごとに担当もかわったりします。
    ですから、自分が興した取り組みではなく、前の担当から引き継いだものというのも結構あるのですね。

    引き継ぎも大事な仕事。本当にそう思います。
    若い先生に教えていく時、滞りなく運営していけるように、その運営の仕方を伝えていくことをよくします。
    でも、それ以上にその取り組みの趣旨を心から納得できるまで伝えていくことがやはり大事なのだと感じます。
    仕事ですからね。昨日のブログ記事と同様、愛情にもいろいろとあるわけです。
    若い先生の3年後を見据えて愛情を注いでいれば、学校運営の意義も語っていくことが絶対なのです。


    学校ホームページなんか、まさに当てはまる例ですね。
    担当者が異動になった途端に、更新がストップする。
    よく見られる光景です。
    学校としてそれが信用失墜というところまで考えが及んで欲しいですね。

    他の取り組みでも同様です。
    学校として、すなわち学校の子どもにとってよいことを起こしていっていた取り組みが消えていくということは、子ども達の中に息づいた何かを殺すということにつながりかねない。
    そういうところまで考えを及ばせて学校運営していきたいと思います。


     
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      どんな背中を追うか / どんな背中を見せるか

       若い先生にありがちなのは(多くのまじめな教師が通ってきた道)、先輩の先生のやっていることを真似てみること。
      そう、それは多くの人がやっている。
      そのトライを評価できるのは、その真似したことを先生自身が評価してこそです。

      ・先輩先生のやっていることを、どうして真似しようと思ったのか
      ・真似してみて、自分は子どもの反応をどう読み取ったのか
      ・そもそも先輩先生は、どうしてそれをやっているのか

      などを見つめることで、初めて自分自身のこれまでの指導方針を反省することができるのだと思います。


      先輩先生は、テクニックを伝えるだけでなく、観(見方・考え方)を併せて伝えていってほしいです。
      もし同じ組織の後輩にならば、後輩を育てるつもりなだけでなく、後輩のクラスの子どもたちを育てるつもりでも語ってほしいです。

      UGEMテーマ:教育
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        PDCAバーコードのススメ

         「PDCAバーコード」という造語をし、そのPDCAバーコードについて提唱します。

        一般企業では当たり前かもしれませんが、学校の中でよく口にされている「PDCA」に少し疑問があったので、明確にして、世間に問いたいと思ったのです。

        PDCAバーコードというのは、それぞれにかかる期間をバーで表すものです。
        そして色分けすることを期待します。

        これを例えば1年というスパンで表示させたら、学校とか、担任とかはどんなバーコードになるでしょう。


        私の「少し疑問」というのは、
        学校運営に「D」の期間が長すぎやしないだろうかということです。
        では、おそらくこういう感覚であろうというPDCAバーコードを表示させてみます。

        学校運営のPDCAサイクル

        かっちり作られた学校経営案(経営案?運営案?中身は運営案のようだけど)があるから、ほぼ1年が「D」に該当し、途中で「C」と「P」がオーバーラップし、次の1年が「A」であり「D」である・・・バーコード表示に耐えられませんでした。

        「P」が計画。「C」が評価反省。「D」「A」が実践であるけれど、「A」は反省をもとにした改善的実行。ところが、常に評価反省をしながら改善しているから実質「D」というものは存在しなくて「A」が行われていて・・・・という言い訳を聞いたとしましょう。
        ならば、余計なものなしにPDCAバーコードを表示させてみましょう。

        学校運営のPDCAバーコード2

        もはやPDCAサイクルとは呼べないのではないでしょうか^^;

        もちろんPDCAにこだわらなければ、毎年きちんと反省と改善をしているといえるのかもしれません。ですが、建築で言えば、増築増築を繰り返した家のようなものに例えられるかもしれませんし、これではやはりPDCAの目的には適っていないのです。

        学校運営のようなものは、確かに「D」の期間が長いのかもしれません。
        でも、「D」と「A」を混同すると、「P」も「C」もいいかげんになるのではないでしょうか。
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          小学生発!Pray for Japan

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