メソッドかコンセプトか

ふとネットで記事を読んでいて

「メソッドではなく、コンセプトである。」

というものを目にしました。

 

 

私の考えは、過去10年さかのぼっても、おそらく変わらないと思います。

「コンセプトをしっかり立てて、メソッドを研究する。」

 

学校教育というと、ほとんどが一斉授業型を思い浮かべます。

先生が黒板にはりついて、子どもたちは黒板に向かって机を並べて学習するスタイルです。

もちろん、グループを作って活動する時間もありますが、多くの時間を一斉授業型で過ごしているのが日本の教育スタイルといってよいでしょう。

 

私は、このスタイルのよいところはそれほどたくさんないなと思っています。

子どものものの考え方が同じで、特定かつ固定の理解を得たいときは有効であると思います。

私自身、話術・語り・演技などで子どもを引きつけるのは得意なものですから、そういう授業形式をとってしまうこともたくさんあります。でも、子どもの学びや子ども同士の学び合いや育ちを考えたときには、このスタイルはあまりにもったいないものです。

学校で学ぶ時間は限られています。

子どもが学校に来る理由は、教室で学ぶ意味があってこそだと思っています。

教師が黒板にはりついて、授業を1対1対応で進めるのであれば、ネットでもできるでしょうし、他に優れた教育コンテンツがいくらでもありそうです。正直、将来AIロボットの方が優秀に教えられるようになるでしょう。

 

子どもが自分たちで学びを作っていくときに、となりの友達がいてくれることによって、実現可能なものがある、それが教室でなければなりません。

 

 

こういったアンチ一斉授業型というか、同品質の知識人を育てているかのような工場型教育に対するアンチをもっている方もたくさんいます。海外の教育スタイルから学べるものもたくさんありますから、改革できる切り口は、本当はたくさん用意されています。

 

そんな方々がよく口にするのが冒頭の「メソッドではなく、コンセプトである。」です。

これは、誰に向けて発されている言葉かというと、

そういったアンチ一斉型で、子ども一人ひとりが目を輝かせ、真に自分たちの学びを追究する姿に心打たれた人

です。

 

今の学習形態に何かしらの違和感や、自身の教師としての停滞感を感じる教師ならば、

子どもの豊かな学びの姿を目の当たりにした際、

「これだ!」

と思うに違いありません。

 

それってとても大事なことだと思います。

 

ただ、そういう方に向けて

「メソッドではなく、コンセプトである。」

という言葉が発されるのは、

子どもの姿と同時に、他にない学習スタイルも目にうつるからでしょう。

 

子どもが授業中に立ち回りまくるとか、机がないとか、いろいろ。

この言葉には、

教科書を使わなければ

とか

子どもを授業中に好き勝手に立ち歩かせれば

とか

大きなテーブルで異学年で学ばせれば

子どもが豊かに学ぶということではないんだという注意喚起だと私は解釈しています。

 

ただ、この言葉、私は正確ではないと思うのですね。

教育において、メソッドというのはものすごく大事だと思っています。

というか、メソッドのない教育なんてないとも思います。

 

それは、一般的な学校教育のスタイルであっても同じことなんです。

校内の授業研究であっても、同じような議論にであったことがあります。

一生懸命授業研究している人ほど、「手立て研究」を口では嫌います。

でも、私は、研究内容は手立ての他ないと思っています。

もちろん、理念・理論を常に構築し直すという作業は必要であり行っていることではありますが、基本的にそこを研究しているのではなく、あくまでも理念・理論を実現するためのよりよい手立てを研究しているはずなのです。

 

新しい学びのスタイルに、外見だけで飛びつかれて、

新奇性とでもいえるでしょうか、一定期間は子どもの姿に変容があるかもしれませんが、

大事なコンセプトが教育者におちていなければ、効果は限定的であり、また元通りになってしまうかもしれない、、、

だから「コンセプトである。」と念押ししているわけです。

 

正確には、「コンセプトであり、それに基づくメソッドを研究中である。」だと思います。

 

どんなによい教育スタイルがあったとしても、それは何によって実現しているのかを見極める洞察と、メソッドを真似するだけでなく常に自分を磨き続ける意志がなければ意味を成さない、

そういうことでしょう。

 

その前提さえあれば、私はメソッドに飛びついたっていいと思うのですね。

わかりやすいところからでも入っていけたら、それでよいじゃないですか。

 

 

オフィシャルとして、断りを出すのは大事だと思いますが、

それが「自分たちは高尚」というアピールだと誤解されてしまうのも、また悲しいなと思ってしまうのでありました。

0

    JAPET&CEC 教育ICT課題検討部会

    先日行ってきました。

    JAPET&CEC 教育ICT課題検討部会 ラウンドテーブルディスカッション

    表題は「情報社会を生き抜くためのデジタル時代の教育のあり方と課題〜子どものIT端末との付き合い方と学びはどうあるべきか〜」でした。

     

     

    パネリストが多方面にわたっていて、大変充実していました。

    議論したいところがたくさんあり、3時間でも「エンジンが温まったところ」という感じで終わってしまいました。

    もっともっと聞いたり、議論したりしたかったのが本音ですが、次回のお楽しみにします。

     

    さて、今回はその記録、ということではなく、ディスカッションに参加させていただいて私なりに感じたり考えたりしたことを残しておこうと思います。

     

    長くなりそうな予感。

     

    身の回りにデジタル機器があふれ、生活する上で欠かせない存在になっている時代です。

    IoTやAIが家庭にも入ってきており、この分野はこれから数年で爆発的に広がっていく気がしています。

    第4次産業革命の訪れですね。

     

    議論の筋はリテラシーにあると思いますが、学校で(広く)教育情報化が進まない要因はいろいろとあります。

    学校文化には、「写真撮られると魂吸い取られる」みたいものがはびこっているところがあります。

    新しいものを受け入れ難い体質があるのでしょう。

    近年は社会的課題の多様化からくる教育への社会的要請も増え、教員の多忙感からその体質に拍車がかかっています。

    学校に取り入れてもらいたいという「◯◯教育」の数はとてつもない量です。

     

    今回のディスカッションの中で、パネリストの方から「ICT機器とうまく付き合っていく方法は、中高生からというのではなく、小学生のうちから教えられているべきで、今それがなされていないことは子どもにとって大きな機会損失である。」という言葉がありました。

    おそらく会場にいらっしゃる方は皆「その通り」と思われたことでしょうし、私ももちろんその通りと思いましたが、

    これは「◯◯教育」を推進しようとしている団体での話し合いではどこでもそういう言葉が出てくるはずです。

     

    学校現場としては、

    価値が分からないわけではない。

    でもどれも取り入れるというのは不可能である。

    今のカリキュラムは満車の駐車場のようなものだから、新しいものを入れる余地がない。

    駐車場を広げるというのは、授業時数を増やすことになる。子どもにも教員にも無理がある。

    といった理屈になっている中、

    一番上の

    「価値が分からないわけではない」自体が「分からない」状態に近いICT教育なんて、後の後のあと・・・になっているわけです。

     

    先の精神論的な話からすると、学校教育で批判すべき「根性論」「修行的勉強」を行なっている教員は、

    「便利になる」=「バカになる」だと思っている節もあります。

     

    これまでの文明の発達の中で、人は便利なものことをたくさん発明してきましたが、果たして人間はバカになったのでしょうか。

    「便利」は「楽」を生みます。教育の敵は「楽」だと思っている教員に、人類の歴史は永久に理解できないでしょう。

     

    らくすることが思考力を低下することにつながるかどうかは、まさに人の生活の在り方によります。

    楽すると思考力が低下するから「子どもが時代に乗り遅れるのではないか」「生きる力がつかないのではないか」と真剣に心配してくれているわけです。

     

    農業機械が発達したことで、農作業はぐっと楽になりました。では、農家の方はらくしてだらしない生活を送るようになったでしょうか。家電が発達したことで、家事を行う時間が大きく短縮されました。では、人々はらくしてだらしない生活を送るようになったでしょうか。

    農繁期でも子どもは学業に向かうことができるようになりましたし、より環境にあった作物をつくったりより美味しい作物になるように研究を重ねるようになりました。おかげで人の暮らしがさらに豊かになりました。

    家電の発達のおかげで、家族団欒の時間が増えたり、余暇活動をする人が増えたりしました。もちろん、仕事時間が増加するといったことにもつながりました。それが今の社会を蝕んでいるわけですけれど、要するに課題は「楽しない」ではなく「時間をどう使うか」なのです。

     

    現在は、正直1日24時間では足りないような生活になりつつあります。

    自分の生活にとって大事かどうか判断する前から、溢れるほどに情報がやってきます。

    「情報消費に慣れ過ぎている」

    情報社会の中での問題はここにあります。

    時間を管理する力をつける時間すら、情報消費におしつぶされているという感覚です。

     

    「IT端末との付き合い方と学び」

    という言葉がサブタイトルに入っている今回のディスカッションでしたが、

    そこの前提にたどりつくまでに学校教育がすべきことがあると私は思っています。

    今の子どもの生活を見つめ、今の子どもの生活をアップデートしていけるようにすることが教育の基礎です。

    その中で時間を管理する力はとても重要だと思います。

    まだ未熟な子どものために、大人が子どもの時間を管理してやることは必要ですが、管理と教育はほぼ対極にあるものだという認識をもっているべきです。

     

    さて、今の子どもはデジタルとアナログというものを区別した感覚をそもそも持っていないというのが私の考えです。

    電気を使っているかいないかの区別くらいでしょう。

    子どもにとって、生活が全てであり、身の回りにあるIT端末は生活の一部であり、玩具でも家具でも道具でもあります。友達であるかもしれません。

    学校は超アナログな世界(これでもずいぶん教育情報化は進んだのですが)の上に、デジタルとアナログを区別して教育を行おうとしています。それが土台無理な話だと思っています。子どもにとって区別のないものを「概念的な区別」を教えることはできても、生活から切り離せというのはどういうことでしょう。DSはおもちゃだけどトランプとこま以外はおもちゃじゃないとか、家にベッドがあってもそれは西洋かぶれになるから学校では布団の話しかするなとか、ペットは動物だから家族じゃないとか、そういう謎の教えということになります。そんな意味不明な理屈が、子どもの生活を豊かにするわけありません。

     

    そもそも子どもがIT機器を生活の一部としているのは、近い大人がIT機器を使って生活しているからです。

    子どもが情報の消費に慣れ過ぎているならば、それは近い大人がそうしているのでしょう。

    時間の管理が苦手な大人なんてごまんといます。(日本人には特に多いのではないでしょうか。私もそうです)

    大人の情報リテラシーが低いと、それこそ情報サンドバッグになっていることでしょう。

    見てもいいし見なくてもいい動画を、節分の豆を食べるように淡々と見続けてしまうとか。

     

    スマホ依存・ネット依存は、子どもだけの問題ではないですよね。

     

     

    長くなりましたので、そろそろ私の結論を。

    学校では、やはりIT機器の使い方、付き合い方をしっかり教えていくべきだと思います。

    スマホが、玩具であり道具であること。何になりうるのか、そして何ができるのかを教えること。

    はさみを学校にはもってこさせないで、はさみの良さを語ったり、使い方や注意点を教えるなんてナンセンス。

    おもちゃを授業中に使ってはいけないのなら、休み時間にでも使ったらどうでしょう。ついでに授業中はどうしてトランプで遊ぶのがよくないのか、どうして授業中に教室から出ていくことが好ましくないのかを教えたらよいでしょう。

    コミュニケーションの仕方も、授業の中で(遠隔地交流も含めて)どんどん使っていく中で、教師が子どもの姿をみとり、価値づけていくべきでしょう。

    使わないことには始まりません。

     

    個人的には、情報の消費者側にとどまることなく、情報もつかってクリエイティブになっていくことを望んでいます。

     

    さいごに

    教師の仕事は、教科書に書かれた知識をただ伝言するものではありません。それこそ、生きる力をつけることにあり、生活をより豊かにしていくことと将来的に幸福追求できる人に育てていくことにあります。

    人ものことに頼り頼られる関係を見つめていけるようにしていくことが大事だと私は思うのですが、「頼られる人になりなさい」が学校教育の精神は強すぎる気がします。頼れるものに頼れるようになることも大事な成長だと思います。

     

    0

      炎天下の木更津トライアスロン

      総合464位(フィニッシュした1304人中)
      総合タイム2:00:12
      スイム0:36:22 (958位)
      バイク0:58:49 (473位)
      ラン0:25:01 (189位)
      年代カテゴリー72位(188人中)

       

       

      トライアスロンは自転車パートがあるので、車を運転しない私にとって、遠征はちょっと勇気がいります。

      参加できそうな大会を探すとき、「行って帰ってこられる場所か」「泳ぐ場所は安全そうか」を重視します。

      重視するというか、そうするとあまり選択肢はないですね。。。

       

      木更津は、うまくいけば電車1本で輪行できるので、思い切ってエントリーしました。

      初めてのオリンピックディスタンスへのエントリーです。

      この大会に向けて、スイムの練習をがんばりました。距離への不安はだいぶなくなり、ゆっくりならばオープンウォーターでも1.5kmゆとりをもって泳ぎ切れるだろうという気持ちになってきました。

       

      今年の夏は、予想外の酷暑で、暑さに慣れる練習どころではないといった感じで、もっぱらジムでトレーニングになってしまいました。もうちょっとバイクの練習ができるとよかったなという思いです。

       

       

      さて、夏の終わりには暑さがやわらいでいるだろうという淡い期待は打ち砕かれ、酷暑。

      そのため、競技内容に変更がありました。

      スイムは予定通り。バイクは6周回の予定が4周回へ。ランは4周回の予定が2周回へ。

      おやおや、バイクとランはスプリントディスタンスのようになってしまいました。

      「オリンピックディスタンスで完走して自信をつける」という今大会での1番の目標がスタート前に消え去ってしまい、かなり残念ではありましたが、熱中症での生死をかけた闘いをするつもりはありませんので、スイム1.5km完泳をがんばることにします。

       

      バトルを避けるため、できるだけ後ろにつけたつもりでしたが、後ろにもたくさんの人が並んでしまったので、もうスイムは大変なことになりました。前後左右すぐに人が泳いでいる、、、はずなのに視界は0。もう乗られつかまれ大バトルです。ゴーグルはずれるし。最初の100mでリタイヤの4文字がよりぎりました。

      でも1つめのブイまでが予想以上に早く、少しだけ安心したのです。

      周りがみんな猛烈に泳いでいるので、自然に流れるプールのようになっているのです。これはひょっとして耐えていれば連れていってもらえるのでは?!という思い。

      どうせバトルになるのだったら、もっと前の位置からスタートして、泳ぎが得意でまっすぐ泳げる人に連れて行ってもらった方がよかったかもしれません。私の周りは、私を含めてもう右だと左だの、急停止だの平泳ぎだのしっちゃかめっちゃかでしたから。

       

      それでも最後のブイを回ってからは、ちょっと疲れが見えてきました。で、立ち泳ぎをしようと思ったら、、、あれ?立てる!

      最後の直線はかなり水深が浅いようで、立てるほどだったのです。

      牡蠣があるので、立たないで泳がないと危ないのですが、命の危険がなくなったと思ったとたんにすごく気持ちが楽になりました。

      無事に完泳。

      トランジションまでダッシュすると、これまでの大会のように足が攣ってしまうかもしれないので、落ち着いて向かいました。

       

      今日の1番の敵は太陽です。熱中症にならないように、大量に水分を用意してありました。

      予想以上(予想通り?)にスイムで疲れていたので、前2大会のようにはバイクをとばせません。

      それでも滑走路では40km/hまで出すこともあり、十分楽しめました。足が残っていれば45km/h,50km/hにも挑戦したかったですね。

      横浜大会のあとに購入したDHバーが、今回活躍しました。

      速くなるということ以上に、ポジションを変えられるので体を休められるということが大きかったです。

       

      ランは5kmになったので、あとは耐えるだけです。

      走り出して、今回の大反省に気づきました。熱中症を心配するあまり、補給食と水分をとりすぎたようで、お腹がパンパンです。

      おかげで前2回よりも足の痙攣は多少おさえられていましたが、胸が苦しく前に進みません。

      やはりキロ4分半で走り抜けるのは無理ですね・・・。

       

      ラスト、後ろから「最後に抜かしてやるぞ。」という足音が聞こえてきました。

      前にも選手がつまっていたので、その人に前をゆずりました。

      1秒を争う順位ではない私にとって、フィニッシュテープを切るということの方が大事なのです。

       

      無事完走!

      大会会場には大学のトライアスロン部とか屈強な人が勢ぞろいしていましたが、その中で、中の上の成績をおさめることができたのであれば、大健闘です。

      次は、横浜シーサイドトライアスロンをがんばります。

       

      JUGEMテーマ:トライアスロン

      0

        | 1/94PAGES | >>

        小学生発!Pray for Japan

        search this site.

        profile

        selected entries

        categories

        archives

        recent comment

        recent trackback

        Twitter

        ブクログ

        links

        recommend

        others

        mobile

        qrcode